孫・箱根八里の半次郎が大ヒット 復活の時代と今後/演歌歌手専門ブログ

>>演歌歌手専門ブログ<<

ランキングサイト????????音楽情報全般へ


演歌の衰退が叫ばれて久しかった90年代。

しかし、2000年に入ると新しい動きを見せ始めます。

○大泉逸郎の「孫」
・1999年 発売、半年後にはオリコン演歌チャート1位を記録
・2000年 セールス100枚突破(オリコン総合チャートでも3位に)
・同00年 第14回 日本ゴールドディスク大賞 演歌/歌謡曲部門 特別賞受賞


○氷川きよしの箱根八里の半次郎

・2000年 同曲でデビューするや、甘いマスクも話題となり大ヒット
・同00年 日本レコード大賞・最優秀新人賞受賞
       日本有線大賞・最優秀新人賞受賞
       全日本有線放送大賞・最優秀新人賞受賞
       ゴールデン・アロー賞・音楽新人賞/最優秀新人賞受賞


こうした、待望久しい大ヒットが演歌から産まれた事により、
一時期は年に一人、二人程度だった大型新人演歌歌手のデビューも
毎年4〜5人と増加傾向に転じました。
逆に、90年代には100万枚のヒットが当たり前に生まれていたポップス、
いわゆるJ-POP全体の売り上げが低下するにつれ、相対的にランキングでも
上位に演歌が顔を出すことも増えて来ています。


○今後の演歌

こうした箱根八里の半次郎などのヒット曲出現にもかかわらず、
まだまだ中高年齢層限定のジャンル、という枠を壊せていないのも事実です。
個性と実力を兼ね備えた大御所の演歌歌手、春日八郎・三橋美智也、
更には村田英雄や三波春夫らもすでに他界しており、
ここで北島三郎や森進一などの、実力と個性を兼ね備えた演歌歌手が
いなくなるなどの事態によっては、再び大規模な衰退が起こる可能性が
懸念されています。

これからの演歌は、氷川きよし・北山たけしらの、若手歌手の力量に
かかっているとも言われています。
女性演歌歌手にも、着物ではなく洋服で歌う方が増えて来ました。

たとえCDが売れなくても(=世間への認知度が低くても)
演歌なら出場出来ると言われ、また実際にそうした傾向のある
NHKの紅白歌合戦。その紅白までも、衰退を叫ばれて久しい昨今、
演歌が大衆音楽としての地位を広げるのは容易では無いでしょう。

今後の新しい動きを、期待したいところです。

演歌・冬の時代 その保守化と衰退/演歌歌手専門ブログ

>>演歌歌手専門ブログ<<

ランキングサイト????????音楽情報全般へ


1980年代半ば以降に入ると、演歌歌手は再び苦しい時代に向かいます。

テレビが普及し、フォークやGSから発達したポップス・ロックなどが
次第に世の中に浸透し、若い世代と中高年世代との間で、歌のジャンルへの
嗜好がかけ離れて行く・・・という傾向が強まっていったのです。

有名な音楽番組である「ザ・ベストテン」などのランキング番組を始め、
テレビの歌番組も中高年向けと若者向けとで区別されるようになり、
誰もが知っている流行歌としては演歌が支持され辛い時代となります。

演歌が中高年のみの支持に限定されてきた事のみならず、
流行歌には素人がカラオケで歌いやすい事が求められる傾向が顕著となり、
森進一などのようにいい意味で癖のある演歌歌手、個性のある演歌歌手
実力を存分に発揮出来ない冬の時代を迎えた、と言えるでしょう。

こうして演歌界は緩やかな保守化と衰退の途を辿る事となります。

この傾向は平成に入ると更に強まり、
1990年代末には演歌歌手の新曲CDが、どんな大物であっても
数十万枚単位でヒットする例は皆無になってしまったと
言われるようになります。

1980年代後半から90年代とは、演歌歌手にとって正に冬の時代なのでした。

洋楽と演歌 1960年代から低迷期を経て/演歌歌手専門ブログ

>>演歌歌手専門ブログ<<

ランキングサイト????????音楽情報全般へ


○1960年代後半

その起こりには風刺的要素の強かった演歌ですが、
この時代になると、そういった政治批判などをテーマとする歌は
別の音楽形態で表現されるようになります。

その代表的なものがフォークソングです。
フォークは、強烈なメッセージで当時の若者に多大な影響を及ぼしました。
また、グループサウンズ(GS)の台頭など、目に見えて洋楽の色濃い
音楽が増えて来たのもこの頃です。

一方、演歌の方はと言うと、現在のように男女間の情念などをテーマにした
楽曲が増え、フォーク&GSの勢力拡大によって一時的に苦しい立場に。

しかしそれも束の間。
昭和50年代には、カラオケブームが起こり、更にはアイドル系の歌手が
歌唱力に乏しい者が多かった事などが演歌にとっては追い風となり、
演歌歌手は実力派の歌い手として世間に認知される事となり、
多数のヒット曲誕生へと結びついて行きました。

ナベプロ勢力と人気を二分した時代/演歌歌手専門ブログ

○戦後〜昭和50年代頃まで

・昭和30年代
春日八郎、三橋美智也らの望郷歌謡歌手、泣き節の島倉千代子らが登場。

・昭和30年代後半から40年代
北島三郎、都はるみ、に続いて、40年代には水前寺清子、森進一、
五木ひろしら現在でも大物と称される演歌歌手が登場。

この頃には演歌界も個性溢れる時代へと突入し、どちらかというと
洋楽指向と言える歌謡曲と、人気を二分する事になります。

ちなみに歌謡曲の中心勢力は、ワタナベエンターテインメント、
通称ナベプロ所属の歌手でした。
ナベプロは現在も、芸能界で大きな勢力を保っています。
森進一や小柳ルミ子らもナベプロ出身でした。(後にナベプロより独立)

この時代、それまでは全般的に、流行歌やあるいは歌謡曲と呼ばれていた
大衆歌謡音楽の中でも、ヨナ抜き音階や小節を用いた楽曲が演歌と呼称
されるようになります。しかし、かと言って演歌と歌謡曲とを区別する
明確な定義・ルールなどが存在するわけではありません。
むしろ、歌手(もしくはレコード会社など)が「自分は演歌歌手である」
と自ら称するかどうかが、その区別の基準とする見方もあるようです。



演歌歌手専門ブログ】=ブログTOPへ

ランキング応援して下さると、嬉しいです。
クリック>>????????音楽情報全般へ

演歌の起こり/演歌歌手専門ブログ

もともと演歌というのは、自由民権運動の産物だったそうです。

藩閥政治への批判を歌に託した政治主張・宣伝の手段、つまりは
政治を風刺する歌で、現在とはかなり歌う内容が異なっていました。
19世紀末に、演説活動への取り締まりが厳しくなった事から
演説の変わりに歌を歌うようになり、以後「演歌」という名称が
定着する事となります。(※それ以前にも風刺的な歌は存在)

しかし、現在の状況からも分かるように、
時代の流れと共にその定義も変化し、政治的な内容を含む歌を指して
演歌」と称する事は無くなっていきます。

明治後半になると、政治ではなく人の心情をテーマに据えた
社会風刺的な歌が、演歌師によって歌われるようになりました。

大正には、演歌師の中から洋楽の手法を使って作曲する者も出現。
それが、鳥取春陽という名の演歌師です。
春陽の作曲である『籠の鳥』は一世を風靡しました。

昭和に入ると、外資系レコード会社が日本に製造会社を作り、
電気吹込みという新録音システムも導入され、新時代に突入。
演奏家も昭和初期には藤原義江、佐藤千夜子、二村定一、藤山一郎、
淡谷のり子などの洋楽演奏家が主流になり、演歌師は民衆歌曲の主役を
譲ることになっていきました。



演歌歌手専門ブログ】=ブログTOPへ

ランキング応援して下さると、嬉しいです。
クリック>>????????音楽情報全般へ